カテゴリー「コレクション」の6件の記事

2013年3月 6日 (水)

70年代SM雑誌のジャケがかっこよ過ぎる件

この前、某大手古本屋を物色していたら
70年代のSM雑誌を発見した

しかもジャケがっ!
Smzasshi1
カッコよ過ぎっ!
Smzasshi2
しかも値段安っ!

S&Mアブハンター

サン出版から1974年(昭和49年)に創刊されたSM雑誌。1975年(昭和50年)7月号から『SM奇譚』と改題して、さらに1980年(昭和55年)まで続いた

迷わず
そこにあったのを根こそぎレジに持って行きました!

すると若い女子店員さん
「まだ出してある以外に在庫ありますけど…」

むー
わかってるなーこの人
いや
単純に商売がうまいのか?

「同じようなやつですか?」と聞いたら

店員さん「そうですね、同じ人がまとめて持って来られたので同じ感じだと思います」

僕「じゃー全部下さい」
と言ってみたものの

全部合わせたら100冊近くありました

僕「さすがにこれ持って帰れないですね~」

店員さん「5000円以上のお買い上げで無料配達サービスありますけどー」

むー
ここまで条件が整ったなら
もう買うしかない

そして僕は一気にSM本コレクターになったのでしたー

今まで春画系の本はたくさん持ってたんですがねぇー

あーそーいや
奇譚クラブは一冊だけ持ってました
1953年7月号
↑このサイト、画像でほとんどの奇譚クラブが読めてすごい

『奇譚クラブ』(きたんくらぶ)は、1947年より1975年3月号まで発行されたSM系の雑誌。1955年には一時発行禁止処分を受けた。カストリ雑誌の時代を経て、出版社は、曙出版、天星社、河出書房新社と変わっている。

SMの性行動を扱った文学作品としては古典の部類に入る団鬼六の『花と蛇』、沼正三の『家畜人ヤプー』はこの雑誌に発表されたもの。1947年12月号には男娼、男妾の記事があり、創刊年の頃から男色や男性同性愛についても取り上げていた。(wikiより)

そーいや
沼正三の『家畜人ヤプー』を石森章太郎が漫画化したヤツも持ってるわー
;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

ま、三島由紀夫、江戸川乱歩、山田風太郎、石森章太郎、渋沢龍彦、寺山修司、江川達也 等々
この世界はあらゆる文化人が必ず通る道であるので

そろそろ僕も
ここらあたりも掘らなければならないなーとは思っていました

ラブストーリーは突然に…

ですな

しかし
春画もそうですが
この手の本は蒐集していた人が死んだりしたとき
親族が恥ずかしがって処分してしまったりして世から消えていくことが多いので
処分しなかったこと
某大手古本屋がちゃんと商品として並べてくれたことに感謝したく思います
m(_ _)m

大事に次世代へ残していきます(゚▽゚*)

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2012年3月12日 (月)

江戸時代の福グッズ「桃を持った猿の置物」

これまでにわたくしがコレクションしている
江戸時代のオーラある福グッズを紹介するこのコーナー

今回は「猿の置物」です
Karasaru

同じような猿モチーフ像は
探してみたところ
江戸時代に流行ったらしい瓦猿
Kawarazaru1
ぐらいしか見つからなかった

瓦猿

 起源は江戸時代、その頃、和歌山市田中町は瓦町と呼ばれ、瓦職人の町として栄えた。その当時、瓦職人の内職として始められたものが瓦猿である。瓦猿は市内有本にある栗林八幡宮境内の日吉神社に安産・子授けの祈願で奉納されていた。猿の抱えている桃は子供を意味し、妊娠するとこれを神社より借り受け、出産がすむと別に一体の瓦猿を買い、二体にして返していた。

写真ではわかりにくいが
うちの猿も瓦猿も手に桃を持っている
共通の意味・共通のモチーフと言って問題ないだろう

桃はいわゆる「西王母の桃」で長寿や繁栄を意味する
(西遊記の中で孫悟空も盗もうとする昔から中国で超有名な桃、食べると不老不死になると言われている)

しかしモチーフは同じだが
うちの猿は明らか瓦ではなく別の焼き物
買う時に聞いた話では唐津焼とのことで、確かにそんな感じの焼き物だ

とすると

この和歌山の瓦猿だけでなく
桃を持った猿は全国的な流行であった可能性もある

現在は猿と言えば
「見ざる言わざる聞かざる」の三猿か干支の猿しか見ないが
江戸時代には猿に桃モチーフの置物が全国的にあったのかもしれない

また瓦猿に先駆けて
木葉猿は戦国時代ぐらいからすでに有名だったらしい
Konohazaru

木葉猿

 木葉の地に古くから伝わる素焼きの猿の玩具です。その始まりについてはっきりしたことはわかっていませんが、次のような伝説が伝えられています。「今から1300年くらい前、4人の落人(おちうど)が京の都から木葉に移り住んでいました。ある正月、この4人は、夢枕に立った老人のお告げにより、奈良の春日大明神を祭りました。そして木葉山の赤土で祭器(お祭りの時に使う器)をつくりました。その余った土を捨てたところ、猿の形となり、どこかへとび去りました。4人が不思議なことがあるものだと思っていると、身長が3m、鼻が高く赤い顔の巨人が現れ『木葉の土で猿をつくれば幸せになれるだろう』と言ってどこかへ姿を消してしまいました。4人は、これは神のお告げと思い、その後は赤土で祭器といっしょに猿も作り神に供えたところ、災害の時もこの4人の家は無事平安に過ごすことができました。その後、この猿は、悪病・災難からのがれ、子孫繁栄の守り神として広く愛玩されるようになりました。」

木葉猿のモチーフは
男根を抱く猿
母猿の乳を吸う小猿
三猿

桃はなさげなので
同系列ではないかも

また長崎の古賀人形にも猿モチーフの馬乗猿がある
Umanorizaru

古賀人形(こがにんぎょう)
長崎県北高来郡古賀村(現長崎市)の郷土玩具の人形。土製。江戸時代、文禄年間から作られた。古くはクチナシ、スオウなどの植物性染料を用いる。製作者は小川姓である。平氏の残党であるという。「馬乗猿」は中国伝来の故事にちなみ、ばくろうのお守りとされ、「あちゃさん」は中国人がにわとりを抱え、「ホーホー鳥」は疱瘡のまじないとされ、ほかに「狆」、「黒猫」などがある。

しかしこれもモチーフが違う

現在のところ一番古い猿の像は
青森県弘前市裾野で出土した縄文時代のサルの土偶らしい
Sarudogu
この猿はメスで

尻尾とニホンザル(マカク類)に特有の尻だこがあり、メスの生殖器が形作ってあります。おっぱいもあります。さらに脇の下に穴が空いており、ぶら下げて使ったということがわかります。

ということなので
やはり子宝や子孫繁栄的な意味合いがあるように思われる

三猿は古代エジプトやインドにすでにあったらしく
猿信仰はかなり原始の時代から世界的に行われている感じである

また猿回しという職業も
もともとは牛馬の安産や健康を祈願する職業であり
戦国武将が猿回しを使った話もよくあるので
猿信仰はかなり深く、長い間、日本でも信仰されていると思われる

しかしながら
江戸期の焼き物の猿で
しかもここまで大きなものは
うちにあるもの以外まず他に見たことがない

実はけっこうレアアイテム?

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

間彩さんから「猿神」で検索するとたくさん出てくる
との情報を受け

調べてみると

 比叡山延暦寺の僧の著書とされる神道理論書『耀天記(ようてんき)』によれば、漢字の発明者とされる古代中国の伝説上の人物・蒼頡が神の出現前に、釈迦が日本の日吉に神として現れ、サルの形を借りて吉凶を示すと知り、「申(さる)に示す」と意味で漢字の「神」を発明したことや、蒼頡は実は釈迦の前世であり、釈迦が日吉に祀られてまもなく、サルたちが日吉大社に集まったことが記述されている。この話は創作だが、仏教が日本に伝来するにあたり、それ以前から日本で信仰されていた日吉神など日本古来の神の信仰を繋ぎ合わせるものとして興味深いものと見る向きもあり、サルが日吉神の使者とされた由来の一つと考えられている。(wiki)

どうや近江国(滋賀県)の日吉大社が猿神の本家のようだ
ゆえに
日吉大社から分祀された等の縁のある神社には必ずと言っていいほど
猿の石仏や欄間飾りがある
場所によっては狛犬のかわりに両脇に猿がいる神社もあるようだ

これらの猿の中には
桃を持っているものや
木の桃をとろうとしているもの等
桃とセットの猿もいる

西遊記(15世紀)の孫悟空が桃を取る話といい
古代に元ネタとなる桃と猿の神話が何かあるのかもしれない

当然、桃太郎に猿が出てくるのも偶然ではないだろう

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2012年3月 8日 (木)

江戸時代の福グッズ「招き猫」

これまでにわたくしがコレクションしている
江戸時代のオーラある福グッズを紹介するこのコーナー

なくなりそうで
まだあります

今回は「招き猫」
Manekineko
招き猫の起源は意外に浅く
嘉永五年(1852年)のようです

『増訂武江年表』の嘉永5年の項に

其の夜の夢中にかの猫告げていふ。我がかたちを造らしめて祭る時は、福徳自在ならしめんと教へけれぱ、さめて後その如くしてまつる。夫よりたつきを得てもとの家に住居しけるよし。他人此の噂を聞きて、(中略)世に行はれでいくらともなく今戸焼と称する泥塑の猫を造らしめ、これを貸す。かりたる人は蒲団をつくり、供物をそなヘ、神仏の如く崇敬して、心願成就の後金銀共の外色々の物をそへて返す。其の廛は浅草寺三社権現鳥居の傍にありて、此の猫を求むる者夥し。(中略)四、五年にして此の噂止みたり。

とあるのが起源らしい

また、文久2年(1862年)に亡くなった肥田木覚左衛門の墓から招き猫が出土したらしいので

このときの猫の置物は招き猫であったと思われます
ただ、4、5年で廃れてしまったと書いてあり

リバイバルブーム&今ほど定着
するのはかなり後かもしれません

招き猫について
詳しくは招猫研究室
をどうぞ

ちなみにわたくしの持っている招き猫は幕末頃ではないかと勝手に思ってます

実はわたくしの招き猫
貯金箱になっていまして
カラカラいうので定規を差し込んで中身を出してみると
寛永通宝一文銭が入っていたのです

ということで
まぁ幕末ぐらいはあっていいかなぁー
という
希望的観測に基づく甘い判断です

貯金箱になってたりという
造形ぐあいはもっと最近っぽさもあるのですが…

幕末にもあったかもー
\(;゚∇゚)/

招猫研究室によるとこういった垂れ目の招き猫は戦後とありますので
可能性は低いですけど…

まぁ何しろ
今モノの招き猫の変な媚を売ったカワイサはなく
キリっとした愛嬌があります

マットな黒のポッテリ感もいい味出してます

造形は型で作って
彩色は手で行われています

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2012年3月 6日 (火)

江戸時代の福グッズ「福助さん人形」

これまでにわたくしがコレクションしている
江戸時代のオーラある福グッズ

次は「福助さん人形」です
Fukusuke
今の可愛らしい福助さんと違って
妖怪ぬらりひょん並みの妖気を放つ一品

福助人形とは

 元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形 叶福助。願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られた。叶福助のモデルとなった人物も実在したと言われている。松浦清の『甲子夜話』にも登場する。当時の浮世絵にも叶福助の有掛絵が描かれ、そこには「ふ」のつく縁起物と共に「睦まじう夫婦仲よく見る品は不老富貴に叶う福助」と書かれている。

お福さんと同じく起源は諸説あるが

享和2年(1802年)8月に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルである。もともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者であったが、近所の笑いものになることをうれい、他行をこころざし東海道を下る途中、小田原で香具師にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物にでたところ、評判がよく、江戸両国の見せ物にだされた。江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだした。その人形が、福助の死後、流行した、という。

というのがなんとなくリアルで一番いい感じ
でも1800年代だと一代目幸衛門は作れないんだよなー

もっと前から福助はあったのか、なかったのか

荒俣宏氏「福助さん」(筑摩書房)によると


正座・四角い座布団・裃というものから
福助人形は 徳川吉宗八代将軍の時代(1716年~)より以前には 
溯らない
座布団は以前は丸いものであったし
正座というのは昔はなく あぐらか片ひざを立てた座り方が普通でありました
また改まった時に裃を着る習慣も吉宗の頃の時代から始まった

とのことですが

うちの福助さんは方膝立て・座布団なしです

裏には釘彫りで
東福亭 幸衛門
とサインが入っていまして

型モノの量産品ではなく
作家モノのようです

幸右衛門の銘は
古い伏見人形にときどき見られますが
ほとんどが判子で
手彫りは珍しいっぽいです

もしかして元祖?

東福亭幸衛門
本名鵤(いかるが)幸衛門--備前浮田(宇喜多)秀家の重臣・林玄蕃の家来でありましたが、関が原の合戦で浪人となり、伏見稲荷の傍ら東福寺門前に居を構えて、生計を立てるため土人形を作り、人形屋幸衛門として名を上げました。

1600年代の人のようですね

まぁ座布団に正座の福助さんならそこまで遡るとおかしいわけですが
方膝立て・座布団なしなので
400年前のものの可能性もでてきたりしちゃうわけですね

ちなみにこの幸衛門
「天下茶屋の仇討」で有名な人で
これを歌舞伎化した「敵討天下茶屋聚」も大人気だったとか

天下茶屋の仇討(てんがちゃや の あだうち)
 慶長14年 (1609) に、林重次郎と源三郎の兄弟が父の仇である当麻三郎右衛門を大坂・天下茶屋で討った事件。
 宇喜多秀家の家老林玄蕃は、家中の長船家長との争論が原因で、慶長5 (1600) 年9月2日夜、当麻三郎右衛門のために闇討ちにあった。その子重次郎と源三郎の兄弟は敵をたずねもとめて苦心の末、当麻が大野治長の家来となり、伊藤将監と名を変えているのをつきとめた。兄重次郎は病態のために途中でむざんな返り討ちにあい、弟源三郎は忠僕鵤幸右衛門の助力によって、慶長14年3月3日、天下茶屋で首尾よく父と兄との仇を討った。

人気演目だったので幾度となく浮世絵にもなってます
Kouemon

いやー
この人の研究だけで一冊本を書けそうですね

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江戸時代の福グッズ「お福さん人形」

前回
オーラを醸し出す
狸夫婦を公開いたしましたが

つづいて

これまでにわたくしがコレクションしている
江戸時代のオーラある福グッズを紹介したく思います

まずは
「お福さん人形」
Ofuku
お多福、お福、お亀、色々な名前がありますが
起源は諸説あり未だ謎です

古くは、日本神話の女性アメノウズメが起源という説

 天照大神が天の岩戸に隠れたとき岩戸の前で舞いを舞い笑いを誘った女神で「天鈿女命」(あまのうずめのみこと)と言うそうです。後には猿田彦神と共に「道祖神」として祭られるようになりました。

 古事記、日本書紀に見られる「笑う」は、単純な笑いではなく、悪魔を退散させるなどの呪術的所作であると言われています。天鈿女命は、日本書紀では「気後れしない神」、また古語拾遺では「睨み勝つ神」として描かれており、特異、特別な顔面を持つ神と思われがちですが、一般的には、宮中に奉仕し、主として「神楽」のことに携わった女性で、神楽や芸能の神とされています。

 このようなところから「おかめ」伝説がスタートしたと思われます。

もあれば
頬の張り出した形が瓶に似ているから名付けられたとされる説
おかめの名は室町時代の巫女の名前からという説
京都の千本釈迦堂に本堂を建てた大工の棟梁を助けたうえ命を絶った妻のおかめの伝説起源説
 京都の千本釈迦堂には、良妻の鏡としての京女「おかめ」の伝説がありました。

 760年前、時は鎌倉時代。大工の棟梁「高次」が本堂造営を任されていました。ところが、本堂の柱として使われる大切な四天柱を誤って切り落としてしまったのです。夫の不祥事に心を痛めた高次の妻「おかめ」は、「もし、夫を助けてくださるなら、私の命を差し上げます。」と、本堂で仏様にお祈りをしました。すると、ご本尊のお膝元に「斗組(ますぐみ)」の姿が映りました。この「斗組(ますぐみ)」手法を夫に語り、本堂は無事に完成しました。夫の成功と幸せだけを祈った「おかめ」は、その約束通り、上棟式前に自らその命を絶ってしまったのでした。高次は、亡き妻「おかめ」をイメージした福面を飾り、妻の冥福と本堂の無事完成を永久に祈ったということでした。

 それ以来「おかめ」は、美人と女徳の象徴として祭られ、今でも災難消除、招福祈願を願う「おかめ信仰」が多くの人々により続けられているそうです。

色々ですね

まぁ合理的な日本の宗教観からして
色々なものの集合体としての完成形福グッズが「お福さん」だったんじゃないですかね

ちなみにわたくしの持っておりますのは

江戸期伏見人形

裏に
平安美寿堂 和平 [花押]
と筆書きのサインがあり

型で量産したものでなく
作家モノです

今の変にかわいいお福さんと違って
かなりオーラがあります

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2012年3月 5日 (月)

今週の衝動買い「狸夫婦」「裸か美グラフ」

日曜日の朝
間彩さんらと東寺のガラクタ市に行きまして

またしても
衝動買いをしてしまいましたー

見始めてすぐのお店に狸夫婦を発見!
ヾ(.;.;゚Д゚)ノ
おー
こいつは古いし
造形もいい

聞いたら、値段も超破格値ぇー!
Σ(゚□゚(゚□゚*)

いきなり買ってしまいましたー
(A;´・ω・)

重たいんでもう次買う気はなくなりました
初っ端で

夫たぬたぬ
Tanum
こちらは女性器を表す貝を持っております
でも、なんで童子っぽい髪型してるんだろうなー
下半身丸出しで…
本当は別々のもので夫婦とかじゃないのかも

嫁たぬたぬ
Tanuf
男性器を表すマツタケを持っております
お多福さんっぽい造形です

いやね
最近の量産的で変にかわいい狸
キライなんですよ
Shigaraki_tafufu
しかもコレ↑で特価:6,700円(税込)
もしますからね
(サイズ 幅290×奥行き180×高さ280mm)

やっぱコッチでしょー
Garakuta
型で作ったモノじゃなくて
ヘラとか手で造形してあるし
手書きの模様や釉薬も渋くていい味出してる
顔も深い、いい顔してる
 
 
 
それから
もういっこ買ったのが
「裸か美グラフ」
Hadakami
らかびぐらふ
はだかかみぐらふ
なんて読むかよくわからんのですけど
昭和37年のエロ雑誌です

どこかよくわからん沼とかで撮ったグラビアも新しいし
黒子の位置や耳の形・臍の形・顔の形で女性のタイプを鑑定するお馬鹿な特集もおもしろい

後家耳という形の耳は「亭主を殺すか必ず分かれて後家になると昔から言われている」
とか書かれている;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
Gokemimi
後家耳の人は旦那を殺さないように気をつけましょう
(◎´∀`)ノ

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