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2012年2月22日 (水)

知らぬ間に名古屋南京事件だみゃー(o・ω・)ノ

河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に

名古屋市の河村たかし市長は20日、中国・南京市の共産党市委員会常務委員ら8人に対し、南京大虐殺について、「戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、いわゆる虐殺はなかった」と持論を展開した。と同日の記者会見で明らかにした。

 一行は友好都市である名古屋市の河村市長を表敬訪問。劉志偉常務委員らに対し、河村市長は「亡くなった父が1945年の終戦時に南京にいた時、地元住人にやさしくしてもらった。虐殺のようなことがあれば、対応が違っていたはず」などとして、南京市で討論会を開くことを提案した。

 河村市長は2009年9月の市議会で、中国が南京大虐殺の被害者を30万人としていることに対し「深い疑問がある。誤解されて伝わっているのではないか」と一般質問に答えた。名古屋市市長室国際交流課によると、河村市長は昨年12月5日、名古屋市役所を訪れた南京市の李(リ)副市長に対しても、大虐殺はなかったとする趣旨のことを発言している。

2012年2月20日(月)20時8分配信 読売新聞

昨年12月にも発言しているのに
なんで今更この報道?な気がするが
まぁ間違ったことは言っていないので騒ぐ事もないのでは?

と思ったら中国側から大反発!

誰か煽りたい人がいるんだろうね

名古屋市長の南京大虐殺否定発言、記念館長が猛反発―中国

20日午後、中国・江蘇省南京市の関係者と面会した河村たかし名古屋市長が「南京大虐殺」はなかったとする趣旨の発言をしたことについて、南京市の虐殺犠牲者記念館長が「主観的な臆測で、極めて軽率」と猛反発した。中国新聞網が伝えた。

 同市の「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」の朱成山館長は河村市長の発言を「非常に無責任な言論である」とし、「自身の父親個人の経験に基づいた主観的な臆測で、極めて軽率だ」とコメントした。「南京大虐殺」の可否については「極東軍事裁判の判決書で確定しており、史実に基づいた大量の証拠が存在する」と強調した。

 朱館長はさらに、「友好的な討論や交流は、史実の尊重の上に成り立たなければならない」として、河村市長の「歴史研究討論会」開催提案を一蹴した。

 中国政府・外交部の洪磊報道官も20日の定例記者会見でこの話題に触れ、「南京大虐殺は日本の軍国主義が侵華戦争中に犯した残虐的罪業で、動かぬ証拠が山のようにあり、国際社会ではすでに結論が出ている。日本の一部の人はこの時期の歴史を正確に認識し、歴史的教訓をしっかりくみ取るべきだ」と語った。

2012年2月21日(火)10時50分配信 サーチナ


「史実に基づいた大量の証拠が存在する」ってどこにどうあるんでしょうね

後で作ったものは史実に基づくとは言わないって知ってるんでしょうか?

証拠とされる写真は下記の本において検証されてますが
全て捏造か証拠能力のないものだということがわかっています

そもそも人口統計を見るだけで答えは出ちゃう気がします

中国は30万人虐殺を主張してるうえ
しょっちゅうそこに「新たに発覚しました一万人プラス」とかしてるんで
現在は50万人虐殺ぐらいになってるかもなのですが
まぁ30万人としまして
当時の南京人口は20万人
どうがんばっても30万人は殺せません
しかも
虐殺一週間後には保護を求める人が流入して来て25万人に増えています
虐殺が起こったところへ中国人が保護を求めて流入っておかしいでしょう?

そもそも国民党や中国共産党が中国人を守っていたと思っているのが間違いで
彼らは日本軍より、略奪しまくり、強姦しまくり、日本軍に渡すまいと破壊・放火しまくりやったんですから

正直、民間人にとってどこの兵も迷惑な存在だったんです
その中で日本軍がまだマシやったから、日本軍の占領した保護区に集まってくると・・・

日本軍の統治していた満州に爆発的に漢族移住が増えたのも同じような理由です
日本軍の支配している地域の方が治安が安定していて豊かだった

共産党軍のメインスローガン「三大紀律六項注意」を見ても軍モラルの低さがよくわかります


三大紀律

行動聴指揮(指揮に従って行動せよ)

不拿群衆一個紅薯(民衆のものはサツマイモ1個でも盗るな)

一切繳獲要帰公(獲得したものはすべて中央(共産党本部)に提出せよ)

六項注意

上門板(寝たあとは戸板を上げよ)

捆鋪草(寝ワラにした乾草は縛れ)

説話和気(話し方は丁寧に)

買売公平(売買はごまかしなく)

借東西要還(借りたものは返せ)

損壊東西要賠(壊したものは弁償しろ)

人間なら常識と思われることまで軍規に入れないといけないレベル

ちなみに日本軍の「軍人勅諭」は

変体仮名交じりの文語体で、総字数2700字におよぶ長文

前文で「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」と天皇が統帥権を保持することを示し、続けて、軍人に忠節・礼儀・武勇・信義・質素の5つの徳目を説いた主文、これらを誠心をもって遵守実行するよう命じた後文から成る。

■現代語訳

 我が国の軍隊は代々天皇が統率している。昔、神武天皇みずから大伴氏(古代の豪族)や物部氏(古代の豪族)の兵を率い、中国(当時の大和地方)に住む服従しない者共を征伐し、天皇の位について全国の政治をつかさどるようになってから二千五百年あまりの時が経った。この間、世の中の有様が移り変わるのに従い、軍隊の制度の移り変わりもまた、たびたびであった。古くは天皇みずから軍隊を率いる定めがあり、時には皇后(天皇の妻)や皇太子(次の天皇になる皇子)が代わったこともあったが、およそ兵の指揮権を臣下(天皇に仕える臣)に委ねたことはなかった。中世(鎌倉、室町時代)になり、文官と武官の制度をみな支那風に倣って六衛府(左近衛、右近衛、左衛門、右衛門、左兵衛、右兵衛という軍務をつかさどる六つの役所)を置き、左右馬寮(左馬寮、右馬寮という軍馬をつかさどる二つの役所)を建て、防人(九州の壱岐、対馬などに配置された兵。外国の侵略に備える)などを設けたので軍隊の制度は整ったが、長く平和な世の中が続いたことに慣れて朝廷の政務(政治をおこなううえでのさまざまな仕事)も武を軽んじ文を重んじるように流れていき、兵士と農民はおのずから二つに別れ、昔の徴兵制(徴集されて兵隊になること)はいつの間にか廃れて志願制(自分の意志で兵隊になること)に変わり、遂に武士を生み出し、軍隊の指揮権はすっかりその武士の頭である将軍のものになり、世の中が乱れていくのと共に政治の権力もその手に落ち、およそ七百年の間、武家(武士)の政治がおこなわれた。世の中の有様が移り変わってこのようになったのは、人の力をもって引き返せないと言いながら、一方では我が国体(国家のあり方)に背き、一方では我が祖宗(神武天皇)の掟に背く浅ましい次第であった。

 時は流れて弘化、嘉永の頃(江戸時代末期)より、徳川幕府の政治が衰え、その上、外国の事(米国をはじめとする欧米列強が通商を求めて日本を圧迫)が起こって侮辱を受けそうな事態になり、朕(天皇の自称)の皇祖(天皇の祖父)仁孝天皇、皇孝(天皇の父)孝明天皇が非常に心配されたのは勿体なくもまた畏れ多いことである。さて、朕が幼い頃に天皇の位を継承したはじめに、征夷大将軍(幕府の長)はその政権を返上し、大名、小名が領地と人民を返し、年月が経たないうちに日本はひとつに治まる世の中になり、昔の制度に立ち返った。これは文官と武官との良い補佐をする忠義の臣下があって、朕を助けてくれた功績である。歴代の天皇がひたすら人民を愛し後世に残した恩恵といえども、しかしながら我が臣民のその心に正しいことと間違っていることの道理をわきまえ、大義(天皇の国家に対する忠義)の重さを知っているからである。だから、この時において軍隊の制度を改め、我が国の光りを輝かそうと思い、この十五年の間に、陸軍と海軍の制度を今のようにつくり定めることにした。そもそも軍隊を指揮する大きな権力は朕が統括するところなのだから、その様々な役目を臣下に任せはするが、そのおおもとは朕みずからこれを執り、あえて臣下に委ねるべきものではない。代々の子孫に至るまで深くこの旨を伝え、天皇は政治と軍事の大きな権力を掌握するものである道理を後の世に残して、再び中世以降のような誤りがないように望むのである。朕はお前たち軍人の総大将である。だから、朕はお前たちを手足のように信頼する臣下と頼み、お前たちは朕を頭首と仰ぎ、その親しみは特に深くなることであろう。朕が、国家を保護して、天道様(おてんとう様)の恵みに応じ、代々の天皇の恩に報いることが出来るのも出来ないのも、お前たち軍人がその職務を尽くすか尽くさないかにかかっている。

 我が国の稜威(日本国の威光)が振るわないことがあれば、お前たちはよく朕とその憂いを共にしなさい。我が国の武勇が盛んになり、その誉れが輝けば、朕はお前たちとその名誉を共にするだろう。お前たちは皆その職務を守り、朕と一心になって、力を国家の保護に尽くせば、我が国の人民は永く平和の幸福を受け、我が国の優れた威光(人を従わせる威厳)は大いに世界の輝きともなるだろう。朕はこのように深くお前たち軍人に望むのであるから、なお教えさとすべきことがある。どれ、これを左に述べよう。

 一、軍人は忠節を尽くすことを義務としなければならない。およそ生を我が国に受けた者は、誰でも国に報いる心がなければならない。まして軍人ともあろう者は、この心が固くなくては物の役に立つことが出来るとは思われない。軍人でありながら国に報いる心が堅固でないのは、どれほど技や芸がうまく、学問の技術に優れていても、やはり人形に等しいだろう。その隊列(兵隊の列)も整い、規律も正しくとも、忠節を知らない軍隊は、ことに臨んだ時、烏合の衆(烏の群れのように規律も統率もない寄せ集め)と同じになるだろう。

 そもそも、国家を保護し国家の権力を維持するのは兵力にあるのだから、兵力の勢いが弱くなったり強くなったりするのはまた国家の運命が盛んになったり衰えたりすることをわきまえ、世論に惑わず、政治に関わらず、ただただ一途に軍人として自分の義務である忠節を守り、義(天皇の国家に対して尽くす道)は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟しなさい。その節操を破って、思いもしない失敗を招き、汚名を受けることがあってはならない。

 一、軍人は礼儀を正しくしなければならない。およそ軍人には、上は元帥から下は一兵卒に至るまで、その間に官職(官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲)の階級があって、統制のもとに属しているばかりでなく、同じ地位にいる同輩であっても、兵役の年限が異なるから、新任の者は旧任の者に服従しなければならない。下級の者が上官の命令を承ることは、実は直ちに朕が命令を承ることと心得なさい。自分がつき従っている上官でなくても、上級の者は勿論、軍歴が自分より古い者に対しては、すべて敬い礼を尽くしなさい。
 また、上級の者は、下級の者に向かって、少しも軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはならない。おおやけの務めのために威厳を保たなければならない時は特別であるけれども、そのほかは務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一と心がけ、上級者も下級者も一致して天皇の事業のために心と体を労して職務に励まなければならない。

 もし軍人でありながら、礼儀を守らず、上級者を敬わず、下級者に情けをかけず、お互いに心を合わせて仲良くしなかったならば、単に軍隊の害悪になるばかりでなく、国家のためにも許すことが出来ない罪人であるに違いない。

 一、軍人は武勇を重んじなければならない。そもそも、武勇は我が国においては昔から重んじたのであるから、我が国の臣民ともあろう者は、武勇の徳を備えていなければならない。まして軍人は、戦いに臨み敵にあたることが職務であるから、片時も武勇を忘れてはならない。

 そうではあるが、武勇には大勇(真の勇気)と小勇(小事にはやる、つまらない勇気)があって、同じではない。血気にはやり、粗暴な振る舞いなどをするのは、武勇とはいえない。軍人ともあろう者は、いつもよく正しい道理をわきまえ、よく胆力(肝っ玉)を練り、思慮を尽くしてことをなさなければならない。小敵であっても侮らず、大敵であっても恐れず、軍人としての自分の職務を果たすのが、誠の大勇である。

 そうであるから、武勇を重んじる者は、いつも人と交際するには、温厚であることを第一とし、世の中の人々に愛され敬われるように心掛けなさい。理由のない勇気を好んで、威勢を振り回したならば、遂には世の中の人々が嫌がって避け、山犬や狼のように思うであろう。心すべきことである。

 一、軍人は信義を重んじなければならない。およそ信義を守ることは一般の道徳ではあるが、とりわけ軍人は信義がなくては一日でも兵士の仲間の中に入っていることは難しいだろう。

 信とは自分が言ったことを実行し、義とは自分の務めを尽くすことをいうのである。だから、信義を尽くそうと思うならば、はじめよりそのことを出来るかどうか細かいところまで考えなければならない。出来るか出来ないかはっきりしないことをうっかり承知して、つまらない関係を結び、後になって信義を立てようとすれば、途方に暮れ、身の置きどころに苦しむことがある。悔いても手遅れである。はじめによくよく正しいか正しくないかをわきまえ、善し悪しを考え、その約束は結局無理だと分かり、その義理はとても守れないと悟ったら、速やかに約束を思いとどまるがよい。

 昔から、些細な事柄についての義理を立てようとして正しいことと正しくないことの根本を誤ったり、古今東西に通じる善し悪しの判断を間違って自分本位の感情で信義を守ったりして、惜しい英雄豪傑どもが、災難に遭い、身を滅ぼし、死んでからも汚名を後の世までのこしたことは、その例が少なくないのである。深く戒めなければならない。

 一、軍人は質素を第一としなければならない。およそ質素を第一としなければ、武を軽んじ文を重んじるように流れ、軽薄になり、贅沢で派手な風を好み、遂には欲が深く意地汚くなって、こころざしもひどくいやしくなり、節操も武勇もその甲斐なく、世の人々から爪弾きされるまでになるだろう。その人にとって生涯の不幸であることはいうまでもない。

 この悪い気風がひとたび軍人の間に起こったら、あの伝染病のように蔓延し、軍人らしい規律も兵士の意気も急に衰えてしまうことは明らかである。朕は深くこれを恐れて、先に免黜条例(官職を辞めさせることについての条例)を出し、ほぼこのことを戒めて置いたけれども、なおもその悪習が出ることを心配して心が休まらないから、わざわざまたこれを戒めるのである。お前たち軍人は、けっしてこの戒めをおろそかに思ってはならない。

 右の五ヶ条は、軍人ともあろう者はしばらくの間もおろそかにしてはならない。

 さてこれを実行するには、ひとつの偽りのない心こそ大切である。そもそも、この五ヶ条は、我が軍人の精神であって、ひとつの偽りのない心はまた五ヶ条の精神である。心に誠がなければ、どのような戒めの言葉も、よいおこないも、みな上っ面の飾りに過ぎず、何の役にも立たない。心にさえ誠があれば、何事も成るものである。まして、この五ヶ条は、天下おおやけの道理、人として守るべき変わらない道である。おこないやすく守りやすい。

 お前たち軍人は、よく朕の戒めに従って、この道を守りおこない、国に報いる務めを尽くせば、日本国の人民はこぞってこれを喜ぶだろう。朕ひとりの喜びにとどまらないのである。

明治十五年一月四日

御名 御璽

引用元


なげぇーーーーー

陸軍はこれを暗唱させられたらしいが・・・

ムリッ

こんなに覚えられねぇー

まぁとりあえず

そろそろ国内の不満を反らすために日本を使うのはやめて
本気で仲良くしようと思ってほしいものです( ´・ω・`)

正直、南京大屠殺記念館は↓レベル

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コメント

本日もコレ関連の記事が新聞に載ってました
どうでもいいこと騒ぐねぇ
勝手に交流断絶したかったらしたらいい
コッチはいつでも仲良くする用意はあるんだから

しかも京都新聞では南京大虐殺肯定派の教授の意見だけ載せて
トンデモ話というオチにしているところがヤラシイ

投稿: 万物創造房店主 | 2012年2月23日 (木) 午後 03時11分

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