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2011年8月 2日 (火)

「渋染一揆 改訂版」を読んだ!

「渋染一揆 改訂版」
文―川元 祥一 絵―木山 茂

をブックオフの105円コーナーで発見したので
買って読んでみた

巻末に
「本書は渋染一揆の史実にもとづいて創作した物語です」
と書いてある通り
江戸を少しかじっただけの僕でもかなり違和感のある
現代人の感覚でしかとらえられてない薄っぺらな物語であった

ただ
新たな発見もあった

①冒頭「馬糞を取り合い暴力沙汰にまでなる百姓と皮多(穢多)」
糞尿処理は現代においては汚れるイメージの嫌な仕事であるが
当時は糞尿の奪い合いが起こるぐらいの特権的仕事であった

②途中で皮多出身の目明し岡田勝右衛門という人物が登場する
「弾左衛門とその時代」という本を読み
江戸の警護や探索、犯人逮捕を穢多身分が担っていたということはわかっていたのだが
同心の下っ端である目明しがそれにあたるのかどうかは書いてなかった
それがここでハッキリわかった
たぶん銭形平次も人形左七も穢多身分である
 
 
さて
この本の片手落ちなところは
事件の発端となった
「御倹約御触書」29条のうち3条しか掲載されていないことだ

なんとなく気になったのでネットで調べてみると
どうもわざと載せていない感じがしてきた

この中で穢多階級に対する御触書は25~29条であるので、それを順に見て行きたいと思う
(『岡山部落解放研究所紀要』6号より)

25条

御郡々の穢多共義,御年貢上納致,非常之備ニも相成候者之義故,疎意ニ取向可申様ハ無之義
ニ候得共,元来身分賤者之義故,平の御百姓ニ対シ,身分之程考候て,礼義引下,万事相慎可申義,勿論之事候。


 
郡々穢多たちは,年貢を上納し,また非常の際の備えにもなっている者であるから,うとんじて取り扱うという積もりではないが,元々身分の賤しい者であるから,平百姓に対しては身分の程を考えて引き下がった態度をし,万事慎むことは当然のことである。


穢多は百姓より身分が下ということになっているが、特権や警察権力が与えられているので、しばしば百姓に対して高圧的な態度で接していたのではないかと思われる
しかもそれをわざわざ御触書の中に書き入れるということは、よほど酷い状態で、百姓からかなりの苦情が出ていたのであろう
また、「うとんじて取り扱うという積もりではないが」あたりから、役人が穢多に対して気を使っている様子も伺える

前々より,触為知候得共,間にハ心得違,非礼我察之挙働致候共有之候趣相聞,不埒之事ニ候。

前々より触れ知らせているが,中には心得違いをし,非礼我察の言動をする者があると聞くが,不埒なことである。

穢多衣類無紋渋染藍染ニ限り候義勿論之事ニ候,乍然急ニ仕替候てハ却て費ヲ生シ迷惑可致哉ニ付,是迄持かかり麁末之もめん衣類其儘当分着用先不苦,持かゝりニても定紋付之分ハ着用無用,素藍染渋染之外ハ新調候義は決て不相成事

 

穢多の着物は,無地の渋染藍染に限ることはもちろんのことである。しかしながら急に仕替えるのでは,かえって費用もかかり,迷惑するかもしれないので,これまで所持している粗末な木綿の着物は,そのまま当分着用してもよろしい。所持しているものでも,定紋付のものは着てはいけない。もとより,藍染渋染の外は,新調することは決してならない。

渋染一揆の原因を「着物を強制的に変えるように言われたが、そのお金がなかったことが原因」と理解している人がいるが、所持してる木綿の着物はそのまま着ていいし、新調するときはそうしなさい程度のものである

しかも、ここでわざわざ木綿と強調して言うということは逆に穢多階級に絹の着物を買うほど裕福なものが多々いたことが推測される

また「無紋渋染藍染ニ限り」を「無地の~」と訳しているが、その後に「所持しているものでも,定紋付のものは着てはいけない」という言葉から考えても紋付袴などの紋と理解する方が正しい気がする
オリジナルの家紋を勝手に付けて着ている穢多階級が増えていたのだろう
このあたりからも厳密な身分制度がすでに崩壊状態であったことが伺える

ちなみに
「御倹約御触書」の第1条には全ての平民以下のものに対して「男女とも着物は木綿とせよ。」と書いてある
この時点で木綿は差別でもなんでもないし
そもそも当時メジャーであった渋染・藍染で百姓・平民と区別できるようになるのかも疑問である

このあたりは「豪華に行き過ぎていた穢多階級の着物を平民・百姓並にせよ」という解釈が正しいのではないだろうか

26条 

目明共義ハ平日之風体御百姓とハ相別居申事ゆへ衣類之儀ハ先迄之通差心得可申,尤絹類相用候義ハ一切不相成事


 
目明かしたちのことは,日ごろの身なりが百姓とは違っているので,着物の件は先ずこれまでのとおりであると心得よ。もっとも絹類を用いることは,一切いけない。


さて、ここでやはり目明しは穢多階級が担っていたことがわかる
また、「目明しは百姓と違ってもよい」とわざわざ言っているのは
他の穢多階級は百姓と同じにせよということである
「絹はいけない」とわざわざ言うぐらい百姓よりよい服(絹)を着ていたのだろう

27条

雨天之節隣家或ハ村内同輩等へ参候節も土足ニ相成候てハ迷惑可致哉ニ付左様之節ハくり下駄相用候義先見免シ可申,尤見知候御百姓ニ行逢候ハ,下駄ぬき時宜いたし可申,他村程隔候所へ参候ニ下駄用候義ハ無用之事


 
雨天のとき,隣家や村内のなかま等の家へ行くとき,はだしであっては迷惑するであろうから,そのようなときは,くり下駄を履くことは,先ず認める。もっとも,顔見知りの百姓に行き会ったならば,下駄をぬいで,お辞儀をせよ。他村などの遠くへ行くときは,下駄を用いることは無用である。


この倹約令に対する「歎願書」を見ると
この項目に対しては全く文句をつけていないようである
大名行列にあえば土下座をするのが普通な世で、儀礼的な下駄をぬいでのお辞儀等には特に抵抗もなかったのだろうか
それとも、こういう形だけの儀礼は、行わなくても罰も何もなく、全く守らなくてもよい形骸化したルールになっていたので、好きに決めてくれ、ということか・・・

28条

身元相応ニ暮し御年貢米進不致もの之家内女子之分ハ,格別ニ竹柄白張傘相用候義見免可申事


 
身分相応に暮らし,年貢を滞納していない家の女子については,特別,竹の柄の白張傘を使用することは認める。


「御倹約御触書」には
全ての平民以下のものに
20条で「日傘・雪駄は用いないこと。ただし,女は白の渋張傘はかまわない。」
21条で「雨天の日は,箕傘を用いること。」と定めているので
特に穢多階級を差別した内容にはなっていない
なぜ女子だけなのかは謎だが・・・?

また、「身分相応に暮らし,年貢を滞納していない」をわざわざ条件に付けるということは
贅沢に暮らしながら、年貢を納めていなかったものが多かったのではないだろうか

権力と賄賂による脱税か・・・今と同じですな

29条

番役等相勤候もの共,他所向役先之義ハ先是迄之通差心得可申,勿論絹類一切弥以無用之事


 
番役などを勤めている者たちは,他所に行くときや,役目の先に行くときは,先ずこれまでのとおりと心得よ。もちろん絹類は,一切着ることはいよいよもって無用である。


警察身分の人に対して、絹類以外は普通にお金かけた着物でもいいよって内容ですね
 
 
そんなわけで
実際「御倹約御触書」を見るとそれほど差別的だとも思えないし
百姓並みの格好をしろということでしかない

そんなことで、なぜ「強訴」という事態になってしまうのか
それは
穢多階級が百姓より身分が低いと設定されているにもかかわらず
特権階級であり、かなり金持ちで豊かになってしまっていた
ということである

人間というものは一旦生活レベルを上げてしまうと、下げることはなかなか難しい
ゆえに
百姓並みにしろと言われて反発したのである

しかも
強訴したにもかかわらず、獄死したものがいるものの罰は入牢のみである
穢多の権力と金が勝ったのである
身分制度は金(経済)の前にすでに破綻しかけていたのだ

ちなみに
江戸期唯一の成功一揆と言われる宝暦4年(1754年)「郡上一揆」では
首謀者をあげるための取調べ(拷問)が長期間にわたってなされ、牢死したもの19名
判決は14名が死罪、うち4名が獄門
である

以上の内容を絵本では
「差別との戦いが認められたー!」などと書いているが
あ・り・え・ねー!

金と権力の勝利だよ!

ところで
この絵本の前半
「御触書に判を押さないものを名主が拷問にかけて判を押させる」
ような記述があるのだが
システム的に穢多の名主も穢多階級なはずなのだが
そういうことには全く触れられていない
何故だ?
身内どうしの醜い争いは隠すということか?

ちなみに
部落の歴史解釈がどうもおかしいと思っておられる方
部落学序説
というブログがかなり詳しくて、的をえている感じです

河出文庫の
「弾左衛門とその時代」
「江戸の非人頭車善七」
もいい本です

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コメント

この分野への興味が特別なのは、幕末の祖先が奉行(奉行所・役職詳細未確認)だったこともひとつの理由ですが、皮革生産をはじめとする軍需産業の一翼を担った特殊技能集団としての側面(未解明)に興味があるからです。情報ありがとうございました。


投稿: 沈黙のサムライ | 2011年8月 3日 (水) 午後 07時55分

>皮革生産をはじめとする軍需産業
穢多層が江戸の身分制度によって作られたというのは大嘘で

弾左衛門の本によると
少なくとも、この種の人たちは平安・鎌倉あたりの武士が台頭してきた頃から存在していたようで
家康が関東に入ったときに弾左衛門の祖先自から「ここいら一体を仕切ってる者です、こういう仕事には私めをお使い下さい」と名乗り出たということです

さらに、はるか古代からいた可能性も高いですね

投稿: 万物創造房店主 | 2011年8月 4日 (木) 午後 02時33分

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