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2010年8月の2件の記事

2010年8月27日 (金)

今敏監督死去

近年、僕が世界最高のアニメ映画監督と思っていた
今敏氏が8月24日亡くなった
46歳だった

氏の映画との始めての出会いは
大友克洋・江口寿史の名にひかれて京都みなみ会館(いわゆるミニシアター)に見に行った「パーフェクトブルー」だった
その夢と現実が交じり合った斬新な表現に虜になった

その後
「千年女優」
「東京ゴッドファーザー」
「妄想代理人」
「パプリカ」
全て見てきた

どれもまったくハズレがなかった
人によってはその現実と非現実が入り乱れる手法に着いていけない人もいたようだが・・・

次作「夢見る機械」にも期待していただけに
今回の訃報は残念でならない

日本の至宝ともいえる人が47歳の若さでこの世から去るなんて・・・

氏には是非大友克洋の漫画「童夢」をアニメ化してほしかったのだが・・・

今氏の遺書が氏のブログにあった
実に日本人的で潔い死に際だったと思う

長生きだけが価値とされ、不要な延命が溢れる昨今
僕も死ぬときはこうありたく思う

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2010年8月23日 (月)

日本に保守はいるのか?

最近、「行動する保守」「ネット保守」「プチ保守」「ポチ保守」等々
政治家から一般人にいたるまで保守を名乗る人たちが増えているようですが
しかし
その中にどれだけほんとうの保守がいるのかは実に疑わしい

まぁ「ポチ保守」は小林よしのり氏の造語で
保守を名乗りながらただ単に反共親米な自分の身がかわいいだけの
ある意味、親米売国なCIA工作員みたいな
アメリカの飼い犬ポチみたいな人たちのことなんで
当然、保守から外すのがあたり前として

その他の保守の人たちについてですが
ほとんどの保守人たちの視線の範囲は戦前ぐらいまでなんですよね
戦前にもいい価値観はあった
それだけの感覚で語ってる保守の人がほとんどだと思います

しかしですね
日本は開国して文明開化したときに
かなりの日本的価値観を捨て、西洋・キリスト教的価値観に切り替えてしまっているわけです
ゆえに真の保守を言うなら
江戸時代まで価値観を持って行かないといけないわけです

それがわかっている人がいったい何人いることだろうか・・・

例えば家族制度ですが
夫は働いて妻は家庭を守る・男尊女卑
なんていうのが日本のもともとの形態と思われがちですが
実際は違います
そんなものは明治頃に入って来た西洋的価値観に過ぎない

老舗と言われる旅館や商家に残る「おかみさん」という制度を見ればわかりますが
共働きで内政の実権は女性が握っている場合が普通です
そして男性は対外的な交渉やら何やらをするわけです

財産やなんやらを管理する権限も妻にありました
離縁する時にはごっそり持って行かれたそうです
明治憲法では財産は全て家長のものということになりましたが、これは西洋化の後付け価値観です

農家にしても家族はみんな働き手です
妻はもちろん子供・ジジババまでみんな畑仕事をしてました
家事も妻のみがすることではなく
子供も当然分担していたし
夫は薪割りや家の補修やら力のいる仕事を主に分担していたのです
全ての仕事を全員で分担していたのです

サラリーマンであった侍家庭は「夫は仕事、妻は家を守る」という固定的な制度であったと思いますが
一般人のサラリーマン(務め人)家庭では女性が働いている場合も多数あり
そういう固定的な感覚ではなく稼げるものが稼ぎ
手の空いたものが家事をするという合理的な感覚であったと思われます

また、江戸時代は愛人がOKでした
それを一夫一婦制にしたのはキリスト教的価値観に合わせたからです
ゆえに
保守の人が愛人等に対して性の乱れ・道徳観がない等批判的なことを言うのはちゃんちゃらおかしいです

あんたはキリスト教保守か?ちゅーの

動物的に見れば一夫多妻制度は非常に子供をたくさん作れる合理的な形態であるし
現在でもこの形態をとっている国もあります
それを非文明的などと思うのはまさしくキリスト教的価値観に頭をやられている証拠です
そこには意識していなくても「西洋文化が最高でその他の文化は下等」という思い込みどこかにあるということなのです

現在、後継ぎ問題で天皇制の存続が危うくなっているのも
側室がいないからです
少なくとも天皇家には側室が必要ではないでしょうか
保守はまず側室解禁を叫ぶべきです

女性団体も夫婦別姓なんて差別的制度を目指す前に多夫多妻制度でも目指せばいいのに
(夫婦別姓が差別的な理由は過去記事日本統治時代のベストセラー「タクチ本」を読んで下さい)

本妻・愛人1号・2号とランク分けがされていることが差別的だと思う人がいるかもしれませんが
これは家督・財産争いをなくすための合理的制度でもあります
現代においては財産分与権が平等にあり過ぎて肉親どうしで骨肉の争いになることも稀ではありません
それを防ぐ制度
かつ財産を受け継ぐ代わり、家・墓・親(愛人含む)の面倒は財産を受け継ぐものが見るという

現代においては財産だけ要求して親も墓も家も面倒はみない人が増えていることを考えると
実に社会的にも合理的な制度であったと思います

次に性に関してですが
江戸時代はもっとオープンで深いものでした
ところがいつしか性はタブーな雰囲気に・・・

書物や映像の性器に黒塗りしたり、モザイクかけだしたのはキリスト教的価値観からです
ゆえに、保守の人は「成人以上の書物や映像の性器にモザイクをかけることを撤廃すること」を主張しなくてはいけません!

江戸時代(明治ぐらいまではあった)は性器を模った置物や根付、裏返すと性器があるお多福さん人形とか、男根の形をした大黒さん、春画、春画のお猪口、等々がありました
エロ漫画やエロアニメなんかは世界でほぼ日本にしかない文化なので、ここいらへんはこの江戸時代の影響が残っているのかもしれません
また信仰の対象としての男根もいたるところに飾られていました
参考⇒多賀神社
そういうものを隠すものとして飾らなくなったのもキリスト教的価値観からです
保守の人は男根の根付ストラップを携帯にぶらさげなくてはいけません!
保守の人はエロ漫画・エロアニメを守らなければなりません!

また、江戸時代、売春は法的に認められ管理されていました
これが禁止されたのもキリスト教的価値観からです
現在の日本ではは建前では禁止となっていますが事実上存在しています
結果、ないことになっているので売春婦の労働権等は全く守られないままになっています
ドイツではきちんと売春が法律で認められていて、法律によって労働権等々色々守られているようですが・・・
ゆえに、保守の人は「売春の合法化・法律化」を主張しなくてはいけません

ついでに売春に関してですが
江戸時代には男娼というものがかなりオープンに存在しました
織田信長が森蘭丸とやっていた
豊臣秀吉が石田三成とやっていた
なんてのは有名な話で、男色というものが文化人のたしなみのひとつだったのです

東海道中膝栗毛には「アレ見やれ。どれもいい奴だ。捲き端折りで豪勢に尻がならんだは、なんのことはねえ、葭町新道の陰間茶屋の陰間の土用干しというもんだ」(陰間=男娼)という弥次さんの台詞が出て来まして、男娼が普通一般的であったことがわかりますし
そもそも、弥次さん喜多さんはゲイカップルで、弥次は女房持ちでありつつ男娼の喜多を居候させているという設定なのです
つまり男色というものはただ単に男しか愛せないという西洋的・限定的なゲイではなく文化的性的嗜好のひとつとして存在したということなのです
魅力があれば男でも女でも関係ないと・・・

また
井原西鶴は「男色大鑑」という男色ものばかりを集めた説話集を書いています

日本でボーイズラブものが流行る土壌にはこういった文化の流れもあるのかもとか思います

ゆえに、保守の人たちは同性愛禁止のキリスト教的価値観に縛られず
高校生ぐらいの日本史では上のような男色文化についても教えるようにすべきであり
現代でも男色をOKとする雰囲気を作り上げなければならないと思います

ただし、同性愛結婚を認めるとかとは違います
男色・女色はあくまでも嗜みのひとつであり
国の宝である子供を作れる男女で家庭を持つことは優遇されなければいけません
弥次さんもちゃんと妻がいます

まぁとりあえず
キリスト教的価値観を振りかざして「保守ほしゅ」言うなっちゅーんです
日本をなめてるとしか思えません

日本神話から勉強しなおせっちゅーんです

日本神話ではよく男性器・女性器の話が出て来ます
ちゅーか高校生の日本史では日本神話の性器の話も正確に教えろっちゅーの

ちゅーわけで
もう一度問う
「おまいら、ほんまに保守か?」

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